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2009
06.19

人の気持ちがわからないと言われること

人の気持ちがわからないと言われること

よく、定型といわれる側から書かれたり言われたりしていることですが
いつも釈然としません

本人からの視点で述べられたものとあわせて
そのことの本質を知るべきだと想います

▼アスペルガー雑記帳より
   ↓
人の気持ちがわからないと言われること

『世の中はお互い様で成り立っている』
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2009
03.23

ピース♪

昨日、Tくんに託した私の名刺がお母さんの手に渡り
なんと、お母さんから絵文字入りのメールで連絡を頂きました~~~♪(若い!)
ブログも観て下さったそうです~~~♪
とってもうれしかったです~ありがとうございましたm(_ _)m

写真は、きのうの『奇跡の再会』の時に支援者さんに映してもらった
Tくんとのツーショットです
   ↓
20090323001005


21年前のアルバムを観ていたら、同じようなピースの姿が!

ふたりとも当時の面影はもちろんあるけど
それぞれに21年ものトシをとってる

それでも、互いにすぐに認識しあったのだから、とても感慨深いです♪
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2009
03.21

奇跡の再会!!!

今日、とうとう想いの人を引き寄せた!
とってもうれしい奇跡の再会をしました!!!

イタリアン「イル・パスコーレ」をでてから、買い物をして
息子を迎えにNスポーツセンターへ迎えに行きました
エレベターでセンターの2階へ上ったところ
入れ違いでエレベターに乗り込んだ人たちの中に
吸い込まれるように目が合う人がいました

「あっ!彼だ!」
このカテゴリーの主人公Tくんとの21年ぶりの再会の瞬間です!

手を振ると振りかえしてくれ、「Tちゃんですよね?」(Tくんの愛称)と声かけすると
「そうです!」と本人か支援者さんかどちらともなく返事が帰ってきました
感動してオロオロしているうちに、
エレベーターのドアがしまり、1階へ行ってしまいました

あわてて階段で降りて追いかけ、もう一度声をかけました
彼の支援者さんらしき人に、
私は彼が中学3年の時の養護学級の担任だった事を話しました

支援者さんからは
「エレベーターの中で、Tちゃんが『Y●A★先生、F第○中学』と
教えてくれました。すごくうれしそうに教えてくれましたよ。」との応答!

めちゃくちゃうれしかった♪
21年もたった私を認識して、正確に名前まで言ってくれてたなんて!
(おまけにマラソンのエピソードらしきことまで言っていたようです)

21年もたったのは事実だけれど
あの頃を想い返せば、昨日のことような実感がわき起こってきました

携帯で写真を一緒にとることをお願いすると
「大丈夫です。」と答えてピースをしてポーズをとってくれました

支援者さん側のお立場もあり
詳細なことまではお話はしていただけませんでしたが
彼は現在36才になっていて、
高等部を卒業後、ある会社に就職し、ずっと同じ所で働いているそうです
すごい!


当時の状況はTくん側からすると
「昨日まで理科を教えていた若い女の先生がいきなり中3で担任」という状態
Tくんのお母さんはその環境の下でも、
怒ることもなく、あきらめることもなく、
Tくんのために情報を伝え、願いを伝え、前例のなかった進学先も開拓されました
そしてなにより「子どもの好きな事を応援するお母さん」だった

このことは早い時期から、私の子育ての基本になっています
自閉症との最初の出会いがTくん親子だったことは
この上なくシアワセなことだったと想います

今日の再会に感謝します♪
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2006
10.28

轟音と風の中で

9月の記事の続き・・・

休憩時間に11組によく遊びに来る生徒のひとりが

「あ~!それでか!踏み切りのとこで、ようみるわ~」

一人で登下校していたTくん
家と学校の途中、真ん中ぐらいにあるK鉄電車の踏み切り付近で
立ち止まっているのをよくみかけるというのです

まっすぐ帰っているとばかりおもっていた私は
気になったので
数日後、下校のあとすぐに踏切まで行ってみたことがありました

Tくん、いました
踏み切りから少しはなれた線路の外側の草むらの中
電車が通り過ぎるのをみています
少し身体を前後に揺らしながら~轟音と風の中で


人は「同じ電車が何台も通りすぎるのを飽きずに見てる」といったけれど
彼は「違う電車が時刻の通り行きかうのを観ていた」んですね

小さな粘土の電車は
「~系○○行き普通電車」
「~系△▽行き急行電車停車駅は~~~」・・・ですもん♪

20年ちかく前のエピソードです
今では、「レイルマン」や「鉄ちゃん」はよく知られていることですネ♪

『みんなおどろいた~それは、物事の細部をとらえる才能』

◆今日の誕生花◆サワギキョウ<特別な才能>
sawagikyou.jpg

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2006
09.28

作品展

8月28日の記事の続き・・・

Tくんの粘土の電車は他市の学校で行われた作品展で
とても好評でした

学校の人たちにも観てほしくて
学校でも「11組作品展」と銘打って展示をすることにしました

何人かのクラスの生徒や先生方が彼の作品をみて・・・
「あ~なるほど!」っと、
彼のある習慣について合点がいったと
話してくれることがありました

さてそれはいったい???

・・・つづく  
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2006
08.28

小さな電車

7月28日の記事のつづき・・・

Tくんの描いてくれた電車はどれもとてもかわいい顔をしていました
・・・というか、私にはそう想えたのです
もっと観たくて、紙粘土を用意し作ってもらいました

▼1cm×1cm×4cmぐらいの小さな電車がいっぱい
060729_1936~01.jpg

当時、地域の中学校の養護学級のこどもたちの美術作品展が年1回ありました
それに電車をだそうと、大きなのも作ってもらいました
▼大きな電車
060729_1928~01.jpg

大きい電車はなんとなく、投げやりにつくってたようでした~荒い感じ

Tくんは「紙に描いたサイズ」がお気に入りだったのかもしれません
写真が不鮮明で彼の作品の細部が伝わらないのが残念なのですが
紙粘土の小さな電車は緻密につくられ、ひとつひとつ違う’顔‘をしていたのです

・・・来月につづく

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2006
07.28

「11組」という名の学級

6月28日の記事のつづき・・・

「1年だけ引き受けてもらえないか・・・」という校長のお話を受け
退職の予定だったのをとりやめ、養護学級の担任になりました
担当するのは1年・2年・3年の3人の男の子

その中の中学3年のTくんが自閉症だったのです
今から、20年近く昔のことです

前担任から引き継いだのは
「公○のプリント」「卓球台」「ソファ」だけ・・・

けれど、教室には使えないような物があふれかえっていて
わたしはものの多さにクラクラしてしまいました
春休み中にしたことは「使えそうにないもの」を捨てることでした

学級の名前は「11組」
当時はマンモス校は当たり前のような時代、1学年10組までありました

▼真ん中が一般教室の半分ぐらいの広さの「準備室」~ソファーに腰掛けるTくん(右)
 ↓現学級の朝の会がはじまるまでのあいだのひと時を過ごしていました
t1.jpg

そして、3人の子たちの机と私の机~ここで机上の学習をしていました

▼「作業室」~作業台や流しが備わったお部屋です
 ↓ロッカーのダンボールに「★体そう服」「★くつした」と私の字
  (なぜかしら、昔から★を単語や段落の始めに付けたくなるんです
   そうするとわかりやすく文字が飛び込んでくるからかな?余談です)
t3.jpg

 ↓小鳥はTくんが毎日世話をしてくれていました~自転車で運動も
t2.jpg

▼「プレイルーム」卓球台とテレビとオーディオがありました
 ↓Tくんと対戦してるのは体育のI先生~Tくんうまいんです!私は審判と球ひろい
t4.jpg


当時、視覚支援も・・・構造化も・・・そして、感覚の違いについても
知るよしもないわたしが準備した教室で
Tくんはきっとしんどいおもいをしていたに違いありません

1学期のある日、準備室で計算練習している時にイライラしはじめたTくん
自分の手の甲を噛みながら、自分で「いけません!」と・・・
その時、はっと想いついて白紙を渡し「電車描いて」と頼みました
彼が書いてくれたのはたくさんの小さな精密な電車の顔
よく観ると少しずつ違うんです
でも、全部「近鉄電車」と教えてくれました

「~~系○○行き◇◇電車・・・」とね♪

もうすこし、つづきます
つぎは彼の作品などの写真をUPしたいと想います

  *プライバシー保護のため
   写真は判別しにくい状態にしています
   また、場合によっては画像を後に削除する場合もあります
   

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2006
06.28

自閉症との出会い

20代の若いころ3年間だけだけれど
私は公立中学で理科を教えていたことがあります
自分自身、理科系のことが大好きなので
理科のおもしろ話とテストの傾向と対策を載せた
「りかちゃん通信」という教科新聞を作って担当クラスに配布していました

当時はPCどころかワープロでもなくガリ版で作っていたんですよ~
(といっても、鉄筆ではありませ~ん、鉛筆原紙ですがf(^^;)
担当外のクラスからもほしいと要望があり、うれしかった想い出があります
その上、若い先生はもてますので教室と教科は楽しかったです♪
(職員室はしんどかったけれど・・・)

4年目を目前にしたある日、校長から呼ばれて
「来年度1年だけ養護学級の担任をしてほしい」といわれました
ホントびっくりしました!ベテランしか受け持たないのが常ですから!

当時、応援で週に1時間だけ養護学級指導にも入り込んでいました
それで白羽の矢が立ったというわけです

引き受けて、引き継いだのは
「公○のプリント」「卓球台」「ソファ」だけ・・・
今のように実践的な障害児関連の書籍はありませんでした

なにをしてよいのやら、なにをしたらいけないのやら・・・
まったくわからないままスタート

担当するのは1年・2年・3年の3人の男の子
その中の中学3年のTくんが自閉症だったのです

4月、すぐにおかあさんと個人懇談を持ちました
おかあさんはとてもはきはきとした方でした
 ・字の読み書き、簡単な計算が出来る事
 ・遠いけれどM市のおもちゃライブラリーにかよっていること
 ・混乱すると手の甲をかむこと・・・などなど

教えてもらいました

そして、何よりも「地元の私鉄電車が好き」なこと・・・


続きはまたこんど
写真を入れて書きたいと想います 
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2006
05.28

映画化・小説「ぼくはうみがみたくなりました」

やっと、「ぼくうみ」のこと、想いを書きます

レインボーおやじさんの小説「ぼくはうみがみたくなりました」は
もともと映像化を意識して書いた作品だそうです
読んだ皆さんの感想には
「映像がみえた・・・」というのが数あります(実際、そうです)
「是非、映画化を!」というたくさんの声があるのはとてもうなずけます
それで、映画化に向けて活動される決意・準備をされ
正式発表される予定でした
その矢先に息子さんがなくなられたのです
   是非、HPをご覧下さい↓

私は4月のはじめにネットでそのことを知り
一瞬も迷うことなく応援したいと想いました

まず、自分のボランティア活動の関係に知らせた・・・
そのほかに手立てを持っていなかったのですが
ネットの力を信じてブログを作ることに4月28日に決めました

それまでネットは時々みるぐらい・・だったので
モタモタとスタート・・・できたのは5月6日ですけれど・・・

亡くなられた息子さんのことを知ったとき
20年以上前のある「記憶」がよみがえりました
それはまた、28の付く日に書きたいと想っています

今日は月命日
あらためて大輝(ひろき)さんのご冥福をお祈りいたします


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